第500号(1997年4月1日号)| ▼ | ▼▼ | INDEX | HOME | 本紙輝く500号、23年5カ月で達成「観光とけいざい」は今号でちょうど五百号となった。沖縄が本土に復帰した翌年の昭和四十八年に創刊、毎月二回発行して二十三年五カ月で五百号を達成したわけである。創刊のとき、昭和四十八年の観光客は七十四万三千人(復帰の年、昭和四十七年は四十四万四千人)。それが昨年は三百四十五万九千五百人と驚異的な伸びである。 創刊号は十二月一日付けでB五判十七ページ。内容は▼ホテル料金も値上げ、一〜二割程度近く実施▼那覇空港ビル来年一月着工鹿児島空港より大きい▼気軽に世界の旅、旅券発給毎月二千人▼来年から新しいパスポート▼空からの観光はいかが、国和観光が遊覧飛行開始▼海洋博に八万人、東京信金協が送客▼福岡県が土産品に認定書▼ホテルは四十五%増、秋のシーズンで増える▼太平洋航空サービスが移転▼東急ホテルに支店、ロジャース百貨店▼喜瀬にくろとん園オープン▼私の意見、ポート観光支配人北沢実氏▼飛行クラブ会員募集中▼ホテル大商がオープン▼国際プラザホテルがオープン▼福岡に営業所開設・沖縄ツーリスト、近く名古屋にも▼洋酒三十八品目追加、戻し税対象品▼十二月一月の天気▼トピックス、初の女性パイロット近く誕生▼観光業者一覧。 観光収入も昭和四十八年は四百六十億円(復帰時の昭和四十七年には三百二十四億円)だったが、平成六年には三千四百十七億円(昨年の分はまだまとまっていない)に成長した。 ■先進の紙面制作工程 デジタル化でスピードアップ 本紙の制作は、デジタル化がほぼ完了し、国内でもかなり先進的な製作工程を取り入れたものとなっている。 創刊号の謄写版印刷から大きく変化したのは制作工程であり、紙面制作のデジタル化だ。この間の歴史をさっと振り返ってみよう。同じような試みで特に印刷経費を大幅に削減できる可能性があり、大方の参考に供したい。 創刊の謄写版印刷は新聞発行で最も費用のかかる印刷を自分で行い、経費を最小限におさえるためだった。ドイツ製の手回し式の機械だった。これにB5のざら紙をセットして一ページづつ印刷し、ホッチキスでとめた。 文字は当初タイプをたのみ、見出しは琉球観光産業の常務仲宗根義昭氏がボランティアで墨で書いた。現在の「観光とけいざい」の題字も仲宗根氏である。その後、和文タイプを自分でたたいたりしたが、写植機を導入してオペレーターも採用した。三年間ほど印刷機を持ったこともあるが、百七十号前後から印刷所にまかせている。 低価格のワープロが出現したのは二〇〇号前後のころであろうか。ワイヤドットプリンタが主流で一文字は二四×二四ドット前後で、品質が向上すれば印刷にも使えるのではないかと予想された。だが、実際に印刷品質の高解像度プリンターが登場するのはそれから十数年後のことである。この時はワープロの導入を見送った。二三〇号前後に東レのFXシリーズという組版機を導入した。これは一六ビットCPUに超精密のインクジェットプリンターを組み合わせたもので当時としては先進的だったが、価格もバカ高かった。これを導入して五〜六年使った。オペレーターを二人養成した。 FX導入の試みはあとで述べる理由によって実験の領域を抜けず、役には立ったが、現在のシステムのような実用にはならなかった。 転機はワープロを使うことだった。機械化しても記者が手書きの原稿を書いているうちは合理化には限界がある。デジタル技術は猛烈なスピードで伸びており、ワープロのデータが簡単な操作でフィルムに出力できるようになり始めた。ワープロ打ちの原稿を自分史として出版する試みが、一部の印刷会社から始まっていた。 ところが、当時のデジタル編集用パソコンはまだ高価である。一九九〇年頃からとりあえず原稿の執筆をデジタル化することにし、ワープロ原稿をもう一度写植で打ち直すという二度手間を暫く続けた。この間、価格競争とデジタルテクノロジーがもっと身近になるのを待った。パソコン雑誌をいくつも購読し、DTP分野の動向、パソコンのテクノロジーの進む方向性を吟味していた。この時点で特に印刷関連ではマッキントッシュの優位性が明らかだった。 一九九四年四月、米アップルコンピュータ社はIBM、モトローラと共同開発した新型のMPU・パワーPCを搭載したパソコン、パワーマックシリーズを発表した。非常に単純な設計思想に基づくCPUであり、後々のCPUの乗せ換えが簡単にできそうであることが予想された。パワーマック7100/66AVと20インチモニター、プリンターはエプソンLP9000、編集ソフトとしてアルダスページメーカー(後にアドビページメーカー)を導入した。 効果はすぐに現れた。新聞制作にかかわる時間が半減し、写植オペレーターが不要となり、人員を二〇%削減できた。 誰かに操作を任せたり、オペレーターを使うという考えが電子機器を使う際の最大の誤りであった。パソコンは仕事の内容を最も良く知っている人が、道具として自分で使わなければならない。そのようにして初めて最大の効果が生まれるのだ。つまり、パソコン導入の成功、失敗はテクノロジーの問題ではなく、一〇〇%完璧に使う人間の側の問題であることがようやく理解された。 その後、写真を取り込むためのスキャナーとしてエプソンGT8000を導入し、ソフトはフォトショップ、イラストレーターと増やし、アドビ社のDTPのための三つの定番ソフトをそろえた。アドビ社が提唱する電子出版を取り入れる予定であり、同社のソフトを使うのが最も便利であると考えられる。 九五年暮れ、それまで非常に高額だったインターネットのホームページ開設が県内プロバイダー各社の努力で、非常に手頃なものになった。そこでそのころ最も低価格を提供したイミコムのサーバーを使い、九五年十二月にインターネット版「沖縄観光ニュース」を創刊した。県内の言論機関としては初めての出来事で、半年後、沖縄タイムス、琉球新報が相次いでニュースをインターネットで提供するようになった。ヒット数は毎日四百〜六百、収録記事は一九九一年までさかのぼり三百本以上の記事と各種の論文が読めるようになっている。 九七年現在、マック本体もパフォーマ588、パワーマック6200/75と増え、近く時短奨励金の交付を受けて最新鋭のパワーマック9600/200MPが入る。これによって、作業時間はさらに半減する見込みだ。 このように振り返ると本紙はかなり周到にデジタル化に取組み、失敗も数多いことが判る。が、そのような試みの積み重ねでかなり先進的な新聞制作の仕組みが出来上がった。本年中にさらに進んだテクノロジーでの新聞制作を取り入れ、一層のデジタル化を推進する予定である。期待して欲しい。(本紙・渡久地明)
| ▲ | ▼ | INDEX | HOME | 360万人へ5大事業を展開 OCVBの事業計画OCVBは平成九年度の事業計画を三月二十四日の評議会と二十七日の理事会で決めた。 今年の入域観光客数を三百六十万人と設定し、達成に向けて諸事業を展開する。予算規模は二十三億六千四百九十三万三千円。また、今年は沖縄振興策が具体的に動き出し、国際都市形成構想が本格的に論議され、この中で観光産業が大きくクローズアップされることから、組織機構を大幅に再編し、タイムリーな事業展開を行う。 OCVBの主要事業は次の通り。 【誘客宣伝事業】 従来のメディアミックス宣伝事業に加え、航空路線別誘客活動を強化する。新規に大阪事務所を開設し、民間との共同キャンペーン、修学旅行の誘致、パブリシティーの展開など国内外の広報宣伝誘致活動に取り組む。「観光立県推進会議(TAP90s)」のフォローアップ事業として航空会社などとの共同キャンペーンを六月〜九月に展開する。 【受入対策事業】 地域観光協会との連携のもとに「観光巡回指導事業」を強化しつつ、地域の観光地浄化対策に取組み、「清潔で緑と心豊かな清ら島沖縄づくり」を推進する。同時に「沖縄県観光ボランティアガイド育成事業」「マリンインストラクター養成事業」を引き続き実施。観光客の快適な周遊活動に資するため新たに「ロードイラストマップ事業」に取り組む。 【コンベンション振興事業】 世界の帆船四十二艇が参加する「世界帆船フェスティバルIN沖縄」を実施する。アジア客家大会の誘致を目指した「国際コンベンション都市形成調査事業」など国際的規模のコンベンション誘致やプロ野球キャンプなどスポーツコンベンションの誘致拡大に取り組む。 また、コンベンションセンターのオープン十周年を記念してコンベンション関連団体および企業との共催で「冠イベント」を実施する。 【イベント推進事業】 「海のカーニバル」「大琉球祭り王国」「サントピア沖縄」「花のカーニバル」の四大イベントを誘客の視点から内容・実施方法を見直すとともに旅行社との連携を強化し、誘客体制の拡大を図る。 【収益事業部門】 七月の沖縄海中公園の再オープンに向けて海中展望塔やガラス底ボートの建設など施設の整備を図るとともに、各事業所の特性を活かした魅力づくりに取り組み収益向上に努める。 ■OCVB評議員 加藤唯史(JTB沖縄仕入販売センター課長)、佐藤達也((株)近畿日本ツーリスト沖縄仕入販売部長)、松本允((株)日本旅行沖縄仕入販売センター所長)、鳥井俊一(東急観光(株)沖縄仕入センター長)、宮崎吉嗣(名鉄観光サービス(株)沖縄支店長)、川尻正之(九州旅客鉄道(株)沖縄支店長)、式純正(農協観光沖縄総合営業所長)、宮里政欣(日本旅行業協会沖縄支部長)、池敬史((株)日本エアシステム沖縄支店長)、馬飼野猛(エアーニッポン沖縄支店長)、中山靖章((社)沖縄県バス協会事務局長)、新垣和美(中部観光パス(株)指導課長)、金城隆((社)沖縄県タクシー協会専務理事)、仲村富吉((社)沖縄県レンタカー協会会長)、柳沢克次((株)海洋博覧会記念公園管理財団事務局長)、花崎為継(南都ワールド(株)代表取締役社長)、高津邦生(東南植物楽園専務取締役)、上地敏夫(琉球村社長)、垣花武信(沖縄県ホテル旅館環境衛生同業組合青年部長)、新里勝生(沖縄経済同友会事務局長)、嘉陽安俊(日本電信電話(株)沖縄支店長)、安里カツ子(りゅうせきビジネスサービス社長)、渡久山千代(那覇伝統織物事業協同組合理事長)、有村博勝(沖縄県マリンスポーツ連連盟副会長)、竹田精賢(沖縄県建設業協会専務理事)、市来敏孝(沖縄県造園建設業協会事務局長)、千葉功(沖縄県調理師団体協議会理事長)、伊添一成(沖縄県社交業環境衛生同業組合理事長)、比嘉美好(玉城流扇寿会師範)、島袋君子(島袋流千尋会会主)、大城豊太郎(沖縄県老人クラフ連合会常務理事)、池田忠孝(沖縄県善意通訳友の会会長)、西大八重子(西大学院学院長)、大城久美子(コンサルティングオフィスおおしろ)。 ■OCVB理事 【会長】大田昌秀(沖縄県知事)。 【顧問】宮里定三(沖縄県ホテル旅館環境衛生同業組合理事長)、國場幸一郎(株式会社国場組会長)、東良恒(株式会社沖縄ツーリスト会長)、金城幸松(沖縄県ホテル旅館環境衛生同業組合理事長)、久保田照子(久保田照子チャームスクール校長)。 【理事長】仲程清二((財)沖縄観光コンベンションビューロー理事長)。 【専務理事】銘苅三郎((財)沖縄観光コンベンションビューロー専務理事)。 【常務理事】名嘉地用輔((財)沖縄観光コンベンションビューロー常務理事)。 【理事】幸喜良秀(沖縄県観光文化局長)、崎間晃(沖縄県南工会議所連合会会長)、赤嶺保助(沖縄県商工会連合会会長)、知名洋二(社団法人沖縄県経営者協会会長)、金城名輝(社団法人沖縄県工業連合会会長)、比嘉正秀(沖縄県農業協同組合中央会会長)、大城吉永(沖縄県ホテル旅館環境衛生同業組合専務)、安田晃次(日本ホテル協会沖縄支部長)、杉山美明(沖縄受地連絡協議会会長(JTB沖縄支店長))、大聖雅宣(日本航空株式会社沖縄支店長)、木本晴彦(全日本空輸株式会社沖縄支店長)、奥野道夫(日本トランスオーシャン航空株式会社社長)、有村喬(社団法人沖縄県旅客船協会会長)、新崎盛善(社団法人沖縄県銀行協会会長)、嶺井政治(株式会社沖縄電力会長)、高江洲義之(社団法人沖縄県バス協会会長)、上原綱正(社団法人沖縄県タクシー協会会長)、浦崎猛(財団法人沖縄県体育協会常務)、安谷屋幸勇(沖縄県青年会館常務)、赤嶺千壽(沖縄県婦人連合会会長)、備瀬ヒロ子株式会社都市科学政策研所)、照屋京子(フリーアナウンサー)、喜友名静子(沖縄キリスト教短期大学教授)、大田秀子(玉城流玉扇会二代目家元)、高良ミチ子(国際ソロプチミスト沖縄)、東江康治(名桜大学学長)、砂川恵伸(前琉球大学学長)、親泊康晴(沖縄県市長会会長)、比嘉茂政(沖縄県町村会会長)、伊志嶺亮(平良市長)、大濱長照(石垣市長)。 【監事】當山善堂(沖縄県総務部次長)、金城盛幸(株式会社沖縄海邦銀行常務取締役)。
| ▲▲ | ▲ | INDEX | HOME | 観光施設はまだ不十分 JTB沖縄杉山社長講演那覇商工会議所は三月二十一日、観光サービス部会を開き、JTB沖縄の社長杉山美明氏の「那覇市内滞在型観光を考える」とサービス部会長で国和観光開発社長国場幸一郎氏の「国際都市形成構想における観光リゾート地のあり方について」の講話を聞いた。この中で杉山氏は「那覇市の観光は危機的状況にある。いまこそみんなで立ち上がる時だ」と強調した。杉山氏の講話の要旨は次のようなものである。 ■那覇の滞在型観光を考える 那覇市の滞在型観光を考える前提として現状認識を見てみよう。沖縄の観光は慰霊団の戦跡巡拝から始まった。復帰時には四十四万人が訪れ、海洋博が開催された五十二年には百五十万人に上った。平成八年には三百五十万人(正確には三百四十五万九千五百人)であった。 その間、沖縄はリゾート化が進み、リゾート地へと向かっている。リゾート色が強いのはいい方向である。海洋博以来二十年になるが宿泊施設は那覇市中心で都ホテル、グランドキャッスル、ハーバービューホテルなどが揃っている。その後、西海岸に宿泊施設が続々建設されリゾート化に貢献した。ホテルの歴史はイコール観光の歴史といって良い。自然を売り物にしたことが良かったようで、伸び率はハワイより大きい。リゾート化が前提でなければこのように伸びなかったと言えよう。 それでは現状はどうか。 年代別に沖縄を訪れている人達を見ると、平成七年の場合、トップは二十代で七十八万七千人、全体の二四・〇%である。次に四十代の六十七万六千人、二〇・六%。三番目が五十代の五十八万人、一七・七%である。 四番目が三十代の五十四万八千人、一六・七%である。 これを平成五年と比べてみると平成五年は一位の二〇代が二七・四%。二位の四十代は二〇・四%。三位の五〇代は一四・八%。四番目の三〇代は一九・二%だった。 五年間の傾向を見ると二〇代、三〇代は暫減、五〇代以上は上昇している。また、二〇代、三〇代は八月をピークに夏は多いが冬場は少なくなる。、一方、五〇代、六〇代は八月は底で冬は上昇する。四〇代は年間平均しており安定していると言える。 つまり沖縄はシーズンの波動が大きい。しかし全体で見るとうまくいっている。若と老が補完し合って、年間波動は極めて少ない。しいていえば九月がオフである。オフのない観光地といっていい。そこでオンをどう効率よく売るかにかかっている。オフはなかなか伸びない。 二〇代、三〇代はビーチ志向でビーチに直行している。四〇代以上は那覇志向だったが最近は高齢者もビーチ志向に変わってきた。 JTBの送客をみると那覇が五一%、次いで西海岸、北部、先島の順だったが、昨年は恩納がトップで那覇は三〇%とダウンしている。ホテルだけではない。観光客もリゾート化に向かっている。五〇代、六〇代は海は余り行かないが、最近は海に目がいきつつある。全客層がリゾート化に向かっているといえる。 ■売り出せマリンスポーツ 沖縄への観光客が増えたが、どこへ泊まっているか調べてみると大半は恩納村、西海岸へ泊まっている。平成八年から今年二月まで那覇市内のホテル十一と西海岸のホテル十一を選び調べてみると那覇は減り、西海岸は増加している。夏場のリゾートは満杯だから那覇で我慢するというのが現状のようである。夏場はリゾートはパンクする。オーバーすると恩納のリゾートから那覇の他館へ振る。那覇から西海岸という逆の例は少ない。 JTBにエースという商品があるが四年前は夏場は西海岸二泊、那覇一泊。これが定型パターンだったが、いまはリゾートに二泊〜三泊して帰る。那覇宿泊はなしとなっている。これまで那覇は夏はショルダーだったがいま夏はオフである。 修学旅行は平和目的が多いが最近は海に入るのが増加している。マリン修学旅行といっていいほどである。修学旅行は勉強と思い出作りになるが、その修学旅行も海に入る、シュノーケリングが増えている。 ■那覇市の観光は危機的状況 こうみると那覇の観光は将来心配である。このままではリゾート志向が増大して那覇は落ち込む。今の那覇はリゾートではないからだ。 では那覇をどうしたらいいのか、重要なことである。ではリゾートとは何か。リゾートの条件は客が自由時間を有意義に過ごすことが出来ることをいう。那覇には客を呼び寄せるリゾート施設はないというのが実情だ。那覇の観光魅力は首里城と那覇市場しかない。国際通りでは客を呼べる状況にない。 長期滞在させるためには那覇市内に新しいコンベンションリゾート施設をつくる必要がある。海を売り出すために港を中心にコンベンション施設をつくることだ。那覇軍港の跡地利用計画が出来ているが浦添にも那覇と同じような施設の計画が出来ている。同じようなものを二つもつくるのは疑問がある。那覇の計画を見ると沖縄らしくない。ビジネス空間があるがコンベンションリゾートなのか、都市計画なのか不明だ。肝心なのはウォーターフロントとコンベンション町作りではないのか。ショッピングセンターが離れてが三つあるのも疑問だ。地元の利用も考えたのであろうが観光客には不便だ。 観光には六大要素(寝る、食べる、買う、触れあう、参加する、学ぶ)があり、さらに3大要素に分けられる。「見る、買う、食べる」である。こう考えると独立して食べる場所、観光客を意識して食事を織り込んだ施設作りが必要である。 次に街全体を観光地にすることをみんなで考えることである。そのための施策はあるか。フラワーシティ那覇をつくることも大事である。百万本植樹運動とか、一鉢運動などもあるがもっともっと観光客を意識してこれらの運動を進めることだ。那覇市役所横の通りはいつもいろいろの花が咲いていて奇麗だ。あのような通りを那覇全体に広げることだ。 三番目に慶良間の活用がある。慶良間の自然を壊さずに観光客や那覇市民に楽しんでもらうこと。那覇を慶良間の基地にして観光に役立てていく。慶良間のビーチにシャワー、トイレをつくることは大事であるが、ホテルなどをつくることは慎重に取り組むべきでむしろ那覇の施設を活用して慶良間と那覇がともに栄えることを念頭においたほうがいい。 最後にマリンスポーツ、マリンレジャーをもっと活発にしていく。マリンスポーツのメッカ「那覇」をつくることだ。フィッシングはもちろんその他のマリンスポーツを充実させることが望ましい。伊豆の下田では百隻以上のボートが出てビッグフィッシング大会があるが二日間で一匹か二匹釣れる程度だ。ところが沖縄では万座ビーチや久米島大会、与那国などで大会があるが、どこでも大物がたくさん釣れる。沖縄はリゾート地として進んでいるが、那覇はこのままでは将来が心配である。みんなで那覇の観光振興を考え、取り組む時に来ている。 本ホームページに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての著作権は沖縄観光速報社に帰属します。 Copyright (c) 1996 Okinawa Kankou Sokuhousya. No reproduction or republication without permission. |