第507号(1997年8月1日号)| ▼ | ▼▼ | INDEX | HOME | 観光功労者表彰に4団体、3個人沖縄県は八月一日の観光の日に県民の集いを開催し、観光功労者を表彰した。表彰されたのは次のオリオンビール、琉球銀行、沖縄銀行、那覇市ホテル旅館事業協同組合の四団体と国場幸一郎氏(国場組代表取締役会長)、渡久地政夫氏(沖縄観光速報社社長)、嘉手川重夫氏( 竹の会空手舞踊家)の三個人。表彰の事由は次の通り。 (団体) 一、オリオンビール株式会社 昭和三十二年に設立以来、戦後の沖縄の経済復興に尽くすとともに、本県を代表する製造業として県経済及び地域社会の発展に尽くしてきた。また、永年にわたり県の主催する花のカーニバル等をはじめ数多くの地域イベントを積極的に支援するとともに、「花の国際交流団南米ハワイの旅」の記念事業を契機に熱帯花木を県下全市町村に無料配付するなど、本県の観光振興に多大の貢献をした。 二、株式会社琉球銀行 昭和二十三年に設立以来、戦後の沖縄の経済復興に尽くすとともに、本県を代表する金融機関として県経済及び地域社会の発展に尽くしてきた。また、永年にわたり県の主催する花のカーニバル等をはじめ数多くの地域イベントを積極的に支援するとともに、全営業店において「早朝クリーン作戦」を展開し、近隣のバス停留所、陸橋、公園等の美化、清掃に努めるなど、本県の観光振興に多大の貢献をした。 三、株式会社沖縄銀行 昭和三十一年に設立以来、戦後の沖縄の経済復興に尽くすとともに本県を代表する金融機関として県経済及び地域社会の発展に尽くしてきた。また、永年にわたり県の主催する花のカーニバル等をはじめ数多くの地域イベントを積極的に支援するとともに、全営業店において早朝のクリーンキャンペーンを展開し、近隣のバス停留所、陸橋、公園等の美化、清掃に努めるなど、本県の観光振興に多大の貢献をした。 四、那覇市観光ホテル旅館事業協同組合 昭和四十七年に設立以来、継続して「リゾートマップ」の発行やかりゆしウェア着用普及を通して、観光客への利便、トロピカルオキナワづくりの演出を図ってきた。また、昭和五十二年の青年部設立以来、毎年会員を動員して那覇市内の観光地や商店街の清掃作業を実施するとともに「沖縄観光宣伝隊」に積極的に参加するなど、本県の観光振興に多大の貢献をした。 (個人) 一、国場幸一郎氏(六十四歳)(株)国場組代表取締役会長 多年にわたり沖縄県観光連盟、沖縄ビジターズビューロー及び沖縄観光コンベンションビューローの副会長等の要職を歴任し、観光団体の指導、育成に尽力するとともに沖縄国際海洋博覧会の開催を契機にホテル経営に精進し、恩納海岸地域リゾートゾーンの活性化に努めるなど、本県の観光振興に多大の貢献をした。 二、渡久地政夫氏(六十六歳)(有)沖縄観光速報社社長 昭和四十八年に沖縄観光速報社を設立以来、本県の観光情報専門紙として内外への情報提供に尽力するとともに、本県の観光振興に関する独自の調査研究や提言を行うなど、観光業界のオピニオンリーダーとして本県の観光振興に多大の貢献をした。 三、嘉手川重夫氏(七十一歳)竹の会空手舞踊家嘉手川空手舞踊研究所家元 那覇大綱挽の鉦鼓等の演奏法や那覇ハーリーの「ハーリー歌」、「ハーリー世」の伝承及び後継者の育成に尽力するとともに空手舞踊の創作、普及に努めるなど本県の観光振興に多大の貢献をした。
| ▲ | ▼ | INDEX | HOME | ジェット機就航で自信つけた久米島JTA(日本トランスオーシャン航空)は七月二十日、久米島具志川、仲里両村とタイアップして「ビーチクリーンアップ運動」を行った。新装なった久米島空港ビルとジェット化実現を記念したもので社内から「清掃ボランティア」を募集したところ、百人以上が家族連れで応募。この内から六十人にしぼり、荒木良喜副社長、関取締らを先頭に久米島に出かけて村民とともに清掃した。以下、クリーンアップ作戦の同行取材と東京直行便を喜ぶ久米島の現地報告である。(本紙・渡久地政夫) JTAの一行は午前七時五十分那覇発のジェット機で出発、二十分後には久米島空港着。ジェット機は揺れることもなく、快適そのもの(当然だが)新装の空港ビルも清潔で広々としている。 そのまま具志川村のシンリ浜に直行。村営グラウンドの開始式に臨む。内間清六村長、JTA荒木副社長の挨拶のあと、JTAから「きれいにしましょう」と金網のごみ箱五十個が贈呈された。内間村長は「村民が一致して奇麗に清掃します。花を植えたり、道路を造ったり、ハード面の予算はありますが、清掃のようなソフト面は当分ボランティアで行きます。そのうち予算も組めるようになるでしょう。まず、ゴミを拾うことから子供たちに教えます。奇麗にすると捨てなくなります。教育にもなります。郷土を美しく、環境を清潔にすることを教えます。東京直行便は久米島が待ち望んでいたもので、こんな嬉しいことはない。那覇に行ってジェット化や空港の整備を訴えたとき、マスコミのみなさんの報道が力強かった。こんどほどマスコミの威力を感じたことはありませんでした。今後ともよろしく」と話した。 早速全員がシンリ浜に出て、空き缶、ゴミ、紙、流木、海藻などを集め、燃えるゴミはビーチで燃やす。目立ったのは子供たちで、よちよち歩きの坊やから小中学校の生徒たち、お年寄りが懸命にゴミを拾った。 仲里村でも同様にイーフビーチで村民とJTAの社員が清掃、午前中に作業を終わった。イーフビーチでは仲里村長の平良曽清氏が主催者挨拶、村役場の津波実氏の注意事項、助役の高里久三氏がスタートのかけ声をかけて一斉に作業を始めた。 新装なった久米島空港は滑走路が二千メートル、空港ビルも新しくつくられた。広々として快適。ジェット機もボーディングブリッジが完備している。 ショッピングセンター、待合い室、チェックイン・カウンター、レンタカーのデスクが完備。二階と屋上からは空港が一望できる。滑走路の沖合いの海が美しい。駐車場が奇麗である。広くとって駐車場内の至るところに樹木を植え、まるで公園の中にいるようである。このような駐車場はハワイのホノルルでみた。 東京直行便は満席状態が続いているが、ほとんどリゾート客。これまで那覇経由だと三分の一はビジネス客だった。だがいまは違う。ホテルはほぼ満室状態である。空港から一番近いサンリーフリゾートの盛吉総支配人は「家族連れが圧倒的に多い。特に四人家族が目立ちます。夏はもともと多かったのですが、東京直行便でぐっと増えました。東京直行便の実現は村民の意識に大きな変化をもたらしました。東京がこんなに近い。もう離島県沖縄のさらに遠い離島ではない。東京と直結できたということです」と喜びを語る。実際、久米島空港ビルや各ホテルにも東京ファッションがあふれている。 久米島はリゾート沖縄の中のリゾートである。昨年十二月にトヨタレンタカー、今年五月に沖縄ツーリストレンタカーが新たに進出した。台数も従来の三倍ほどに膨れあがった。けれども需要はなお強く、台数を増強しようという動きもある。実際、沖縄本島のように交通渋滞はなく、動く範囲も限られているから、大金をレンタカーにかけることもない。 のんびり回ろうとすれば路線バスが有利だ。 東京直行便は九月いっぱいの運航で、JTAは十月からは石垣に振り向けるつもりだ。村民は「出来れば通年の直行便がいいが、客がなければ仕方ない。だだ、冬は那覇経由で団体客が見込めるのでいい」。冬場対策が急務ということである。それも団体で楽しめるシアターレストランなどエンターティントメントが求められる。村や観光関係者の奮起が望まれる。 JTAに対しては「久米島=石垣間の定期便の開設」を要望する声が強い。東京から久米島に来て、石垣に行く。帰りは石垣=宮古=那覇に飛び、東京、大阪に帰る。逆に石垣=久米島=那覇=本土というコース。あるいは那覇から入って、石垣、宮古、久米島の離島を巡るバラエティに富んだコースが予想される。JTAの努力に期待する。 農業、漁業関係者が大きな期待をかけているのは貨物である。これまでのYSでは荷物制限があり、その上、那覇経由だったので質量ともに競争力がなかった。これからは違う。東京、築地に直接送ることが出来る。 ただ、現在は車エビの出荷も三月ごろまでで、野菜や花も季節限定である。今後は海産物、農産物の栽培が盛んになることが考えられる。 深層水の開発も軌道に乗り、来年からは試験的に使用が始まる。具志川村ではシンリ浜にコンドミニアムをつくる構想もある。さらに深層水だけでなく、表層水の利用も検討中だ。表層水の活用では日本で先進として有名な高知県を視察した。「ひらめ」などの高級魚を養殖しようという構想で県の支援が急務である。実現すると車エビ、ひらめのほかタラソテラピーの「海洋療法」など久米島は県内でも一番のリゾートプラス産業の基地として飛躍するだろう。 久米島観光協会が新空港ビルに移転した。電話は同じ〇九八(九八五)三四三一。 JTAはジェット化を機会に久米島支店を開設、支店長兼久米島空港所長に久持澄夫氏(ひさもち・すみお)が着任した。運航本部長からの転任で、技術畑を一筋に歩いてきた。「外交関係は初めてですが、精一杯頑張ります」と多忙ななかで地元とのコミニュケーションの構築に集中している。電話〇九八(九八五)二〇二〇。 久米島空港ターミナルビル(株)も空港ビルに入居している。電話〇九八(九八五)四八一二。 | ▲▲ | ▲ | INDEX | HOME | チャレンジ600万人「那覇市観光課」「那覇市観光協会」■那覇市観光課 那覇市観光課は経済部に属する。経済部長は真栄里泰山氏である。前に企画部長を務めた真栄里部長は「世界的にも観光は盛んになり、その結果、各地で地域間競争が激化している。県内でもその傾向があり、那覇市も負けておれない。全市民が立ち上がって受け入れの充実に努めたい」という。 昭和二十五年生まれの野原由将観光課長は「受入充実のためにタテ、ヨコの組織を強化して、万全の体制をとっている」という。 ―那覇の観光をどう展開しますか 《野原課長》「部長もいっていますが、他市町村にないものを、発掘していきたい」 ―その場合の中心は 《野原課長》「キーワードは首里城です。琉球王国は首里城を中心に発展して来ました。首里城から陶器の壺屋、織物、染め物、舞踊、料理、空手などの武道など伝統の文化が生まれた。那覇は首里城の城下町であり、これは他に見られない。首里城は那覇が誇るものであり、これを積極的に売り出して行きたい」 ―確かに観光資源は豊富なものがあるが、どう売り出すかが問われていると思う 《野原課長》「那覇市観光協会ができることは積極的に任せる。例えばイベントなどこれまで市の職員がやっていた。これも観光協会を中心に民間企業の協力を得て実施することにしている。イベントはむしろ那覇市のCIと考えて取り組んでいます」 ―これからの企業はマスコミとうまくタイアップできるところが伸びていく。那覇市はどうですか。永六輔さんはラジオの番組の中で、最近のCDはある歌手の新曲が出るというだけで何十万という予約が殺到する。昔は新曲が出ると内容がいいといって売れたし、一年かけて十万枚売れヒットしたといわれたものだ。今度、アニメを四十三億円かけてつくるそうだ、がそのうち二十三億円が宣伝費だ。テレビや新聞など媒体の費用に使う、と言っている。 《野原課長》「たしかにこれまではマスコミが取材にくるのを待っていた。これではいけない。積極的にマスコミに情報を提供していきたい。出雲線が開設されたとき、那覇市は向こうの地元紙二紙に全面広告をだして琉球王国・那覇の宣伝をした。これもマスコミ重視の表れです」 ―地元企業との連携も大事です 《野原課長》「那覇市に宿泊してもらわないといけないわけで、そのためなにが問題か『ゆんたく会』というのをつくって話し合っています。ロワジールホテル、パシフィックホテル、不二ホテル、都ホテル、日航那覇、ハーバーバービューホテル、西武オリオンホテルです。那覇周遊バスは出来ないかといった提言も出ました」。 那覇市観光課は〇九八(八六二)三二七六。 ■那覇市観光協会 社団法人那覇市観光協会は今年、会長を有村喬氏に決めた。これまで会長を勤めた親泊康晴市長は名誉会長に回った(本紙503号、6月1日付参照)。事務局長の岩切泰行氏は常務理事になった。事務局長は今年で二年目である。 有村会長は有村産業の会長で沖縄と本土、沖縄と台湾の間に定期航路を持ち、物流の面で県民生活に貢献している。経済界では実力者として高く評価されている。那覇商工会議所の副会頭でもある。 岩切事務局長は昭和五十一年開催の海洋博の時に那覇市の観光係長をしていた。その後、市役所の各部署を回り、実に二十年ぶりに観光協会に帰ってきた。 協会は七人のスタッフで総務、催事、事業の三課を新設し、課長をおいて専門的に取り組んでいる。 岩切局長は長い経験から、観光についても幅広い意見を持っている。その一つ。沖縄コンベンションビューローと県内各地の観光協会の関係を見直し、観光行政の機能を強化せよ、という。 那覇市の観光についてはこれほど観光資源の豊富なところはない。将来は極めて明るいと前向きに取り組んでいる。昭和十九年生。事務局長の前は環境整備課長を勤めた。 岩切局長の見解はこうだ。 那覇市は県庁所在地である。県庁が移転しない限り、那覇市は沖縄の政治、経済、文化の中心である。那覇空港も将来とも那覇に立地するし、那覇港も海外と交流し、沖縄に経済、文化をもたらした。今後の観光の面からいえば那覇市は「観光の顔」をつくらないといけない。あるいはカラーといってもいい。文化財もたくさんあり、陶器の壺屋、エキゾチックな那覇市場、国際通りだ。那覇は都会的な部分もあり、観光客にとって魅力的な街と思う。海についていえば「ベイエリア」と言わ れる那覇市若狭海岸の充実が挙げられる。波の上ビーチは近く五百メートルに拡張されるし、人工ビーチも可能性がある。若狭海岸一体を整備すればハワイ・ホノルルのワイキキに劣らないビーチが出来る。そうなれば海・ビーチもよそに負けないし、市民も快適なマリンスポーツが楽しめる。那覇空港からわずか十分前後で行き来出来るという立地も他に見られない利点である。 課題は協会の財務面である。現在は会員が二百七十人前後でもっと増やすことが必要だ。国際通りの美化、緑化にも重点的に取り組んでいる。現在、委託事業を含め七五%が市からの補助だが、独自の財務の確立が大事である。その方法もすでに青写真が出来ている。 那覇市観光協会は〇九八(八六八)四八八七。 本ホームページに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての著作権は沖縄観光速報社に帰属します。 Copyright (c) 1996 Okinawa Kankou Sokuhousya. No reproduction or republication without permission. |