第576号(2000年9月15日号)


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那覇東急ホテルが閉鎖 累損16億、売却の方針

■低価格競争でギブアップ

 那覇東急ホテル(那覇市、二百八室、写真)の千村秀夫取締役総支配人と、東急ホテルチェーンの藤田充男常務取締役は八月三十日、県庁で、十一月一杯でホテルを閉館すると発表した。

 那覇東急ホテルは東急電鉄の連結子会社で、グループを統括する東急ホテルチェーンが運営、九州東急ホテルチェーンが施設を所有していた。

 東急ホテルチェーンはグループ全体の再編を進めており、今年二月、中核ホテルだった銀座東急ホテルの閉館を発表。続いて岡山東急ホテルの閉館も決めた。

 九州東急ホテルチェーンは那覇と同時に長崎の閉館も決め、「長期不況で、ここ十年は九二年を除き毎年赤字。損失の蓄積が同ホテルだけでなく、九州東急ホテルチェーンの債務超過の大きな要因となった」と説明した。那覇の累積損失は十六億円で、九州チェーン全体の累積損失十三億円を上回り、那覇だけで九州全体の収益を圧迫していたという。

 正社員六十人については東急グループ内での雇用確保や県内の同業他社への再就職斡旋を図る。

 ホテル施設は売却の方針で売却先は未定。那覇東急ホテルは十二月末日で精算する。

裏目に出た名門意識

《解説》 那覇東急ホテルの閉館はこれまでの東急ホテルチェーンの事業再編の流れから予想できなかったわけではないが、県内業界に衝撃を与えている。ホテル側は大きく三つの閉館理由を挙げている。

 記者発表によると、九九年の客室稼働率は七八・四%、九八、九七年も八割を超えていた。売上がピークだったのは九二年で、この年の客室稼働率は七三・五%だった。しかしその後、旅行商品の低価格化で客室単価は九二年の一万六千円から昨年は一万千円まで下がった。

 八六年に二十億円をかけてプール、レストラン、客室を増設したが、この設備投資も累積損失の大きな要因になった。

 第三にピーク時の九二年に年間百十件あった披露宴が昨年は六十七件と落ち込むなど宴会部門の競争激化が経営を厳しくした。

 これらを含め「施設が老朽化し、総合的にいろいろな角度から検討した結果、収益性が見込めない」(千村秀夫取締役総支配人)と判断した。

 県内業界はどう見ているか。業界の多くは「厳しいとは聞いていたが、閉館するとは」と驚きを隠せない。しかし、逆に閉館の動きすら業界に伝わっていなかったという那覇東急ホテル固有の問題も見え隠れする。名門、高級の名声をほしいままにしてきたが、そのことが関連業界との連携を薄くしてきた。新設ホテルが同ホテルを上回る設備内容、品質を提供するようになったのに対し、施設は見劣りした。プールの増設でリゾート志向のニーズをつかもうとしたが、及ばなかった。

 「中華料理だったら○○ホテル、洋食なら××ホテルと各ホテルが個性を競ったのに対し、東急ホテルで食事しようという業界人はいなかった。業界とは別のところにあるホテルだった」と厳しい見方をする県内ホテル関係者もいる。

 老舗だけに正社員の高齢化も避けられなかった。人件費は新設ホテルの倍以上だろう、との指摘もある。

 一方、国内有数のホテルチェーンである東急グループが抱える問題も大きい。バブル崩壊後、大手企業の破綻が続いている。山一証券、北海道拓銀など金融機関を始め、ゼネコン、そごうデパートなど大手企業の破綻が目立つ。観光業界でも大手ほど小回りが利かず、人件費の圧縮に四苦八苦している。昨年、再編した沖縄ハーバービューホテルの場合も、客室単価の長期低落傾向と人件費の増大を大きな理由に挙げた。

 これに対して小回りの利く中小ホテルはいち早く、パートやアルバイトを効率的に活用するなど方向転換を進めてきた。

 また、組合活動などを通じて経営の効率化を進め、同業他社との情報交換、異業種交流、県民へのアプローチ、共同キャンペーンなどを通じて連携を強めてきた。

 那覇東急ホテルの場合、地域との連携よりもチェーンホテル本部に顔を向けた経営となりがちだった。

■チェーン化に問題は 忘れられた地域密着経営

 東急ホテルチェーンは、全国的なホテル再編を進めており、銀座、岡山、長崎、沖縄などが閉鎖される。このことは那覇東急の閉鎖は沖縄の観光業界全体の問題ではなく、東急ホテルグループ、那覇東急ホテル固有の問題という側面が強い。

 不採算ホテルの赤字を黒字ホテルが補填するという構造では個々のホテル経営に力が入らなくなったのではないか。同様の形態のホテルチェーンが沖縄には他にもあるが、厳しい状態だとうち明ける。

 「十数年かけて累積赤字を解消したら、連結決算になって県内外の不採算ホテルの赤字を補填しなければならなくなった」(大手ホテルチェーン)との現場の不満もくすぶっている。

 「チェーンホテルとして経営を統合し、仕入を一本化してコストを下げるというが、いまの時代、必要なものの価格がこれ以上下がるか不明。逆にこれまでの協力関係がご破算になるのを考えると、独自仕入の方が効率はいいはず」(同前)。

 「那覇市内に有力ホテルが建設されるとうちはアウトだ。計画がないので助かっている面がある」(別の大手ホテルチェーン)。

 これまで大量仕入れによるコスト削減、財務などバックヤードの統合による人件費コストの削減などチェーン化・グループ化で強調されたスケールメリットが、逆に不採算ホテルの赤字補填による労働意欲の消失、本部人件費の高騰、ホームページの活用など細かな情報化への対応遅れ、地域協力会社の不在といった側面が表にでる結果となったように見える。

 「那覇東急の閉館はやむを得ないことだったと思う。しかし、明日は我が身、となるおそれはある」(那覇市内有力ホテル社長)。県内観光業界は四月以降の航空運賃値上げによる旅客の減少傾向、サミットによる七月の大幅な落ち込み、最ピークシーズン八月の台風による不振などマイナスが続き、連続五カ月前年割れが続いて、那覇東急ホテルの閉館のショックが走り、いいようのない不安感に覆われている。

停滞する観光業界

 観光業界全体に通じる問題もある。復帰直後の観光業界には活気があったが、最近、その勢いが停滞しているように見える。観光連盟は業界のプレッシャー団体として行政に注文を付けた。会長は長く宮里定三氏(故人)がつとめたが、二年ごとの会長選挙には自薦他薦も含めて複数の会長候補が競い合った。

 県内勢に加えて当時のハーバービュー、グランドキャッスル、都ホテルには長期間名物社長が君臨し、談論風発という感があった。他に航空会社の支店長、大手旅行社の支店長クラスはあらゆる機会をとらえて本紙などを通じ、自らの持論を展開した。これらのオピニオンは全体として業界の声をまとめ、リゾート地沖縄の方向性を示すものとなった。

 しかし、海洋博前後の混乱を持ちこたえ、経営が安定するにつれ経営者の質も変化してきた。二年間の在任中、自らの実績を上げることが至上命令となっていく。それにつれ業界への発言はトーンダウンしていく。観光連盟は観光開発公社と統合してOCVBとなり、会長は知事で固定、沖縄県からの天下り受入機関に成り下がって、発言力を失った。同時に業界の声が観光行政に反映されなくなり、イベントなど行政と民間の共同作業は著しく効率が悪くなっている。

 那覇東急ホテルの閉館は固有の問題とはいえ、最近の業界をとりまく不安感を取り除くにはこれまでとは別の仕組みが必要である。長期低落の入口としないよう、次の手を打つべき時である。(本紙・渡久地明)


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台湾の半導体工業を見る JAA沖縄支店が新竹を企画

 新竹科学工業園区は今年十二月に二十周年を迎えるが、その発展ぶりは各種のメディアで取り上げられ、大変有名になっている。次世代の世界の半導体工業は新竹抜きでは考えられない状況になっている。昨年の台湾集集大地震では、新竹の被害によっては世界中のコンピュータ産業に影響与えると心配されたが、実際には最小限の影響にとどまった。新竹は経済特区であり、これまでの輸出加工区が衰退に向かう中、新たな産業政策として計画された。(本紙・渡久地明、協力・JAA沖縄支店)

■米国から技術買う 官民挙げて人材育成

 というのも、従来の輸出加工区の産物の多くがいわゆるローテクの産物であり、ゆくゆくは人件費の安い中国大陸に持って行かれるだろうと予想されていた。実際に一九七九年の改革開放路線で台湾企業の多くが工場を中国経済特区などに移し始める。

 台湾の潘文淵博士らがハイテク工業立国を唱え、一九七三年に工業技術研究院が新竹に完成する。昨日まで伝統的な農村だった新竹がハイテク工業区に生まれ変わる第一歩となった。

 当初、ハイテク工業を導入すると、人手がいらなくなり、失業者が増えるという反対論もあったほどだが、計画は強力に推進された。

 二十四年前、米RCAに三百五十万ドルを支払って半導体の製造技術を買い、この経験がその後の工研院の発展の礎になった。百人の台湾人技術者が米国に渡り、技術を習得した。

 工研院はいわゆる中央研究所としての役割を果たしており、その後の新竹科学工業園区に最新技術と人材を供給し続けている。研究分野は十一あり@エレクトロニクスAオプトエレクトロニクスBコンピュータC機械D化学E物性FエネルギーG計測H航空宇宙I健康の科学J環境工学で先端の研究を行っている。従業者は昨年十一月末現在で六千百三十一人。ドクターが一五%、マスターが三九%、学卒が二一%、その他二五%という内訳だ。経験は二年以下が一四%、二〜五年未満が一九%、五〜十年未満が一九%、十年以上が四八%である。また、全体の七六%がR&Dスタッフであり、一五%が技術者、九%が運営スタッフである。

 年間の運営費は百五十億元(一元=三・五円)で、政府が六〇%、民間が四〇%を拠出した。最終的には政府と民間の負担を一対一まで持っていく方針である。

■無料で研究成果提供 国造りの方針を強力に推進

 工研院の研究成果は原則として全て民間に無料で公開される。昨年取得した特許が五百件と毎日一本以上の特許が工研院から生まれている。

 一つのプロジェクトが完成すると携わった研究者がそっくりそのまま民間企業に移籍し、製品化するという方法で技術が民間に移転されている。現在のスタッフは約六千人だが、この二十年間で一万二千人が民間に移っていった。研究者や技術者がメーカーに流出するのを工研院は歓迎している。ある大型プロジェクトでは三百人が一度に企業に引き抜かれた。このような仕組みは日本では戦後、当時の電電公社の研究所で行われた。アメリカでは例のベル研究所が同じような役割を果たしている。

 同時に、米国留学の後、ハイテク産業に従事していた多くの台湾人技術者がUターンし始める。何しろこれまで米国で博士号を取得したり、ハイテク技術を身につけても故郷台湾では活かすことができなかった。しかし、工研院や新竹科学工業園区ができてからは、身につけた技術やノウハウを活かした仕事ができるようになった。当時の米国の長期低落傾向で米国自体が自信を失いかけ、大学を卒業しても仕事がないという状況も台湾人技術者のUターンに拍車をかけた。

 工研院の成立後、台湾経済部は新竹科学工業園区の建設を始め、第一期計画では工場用地と工場上屋まで提供した。Uターン技術者、米国からの技術者を迎え入れるためにアメリカンスタイルの一戸建て住宅を整備。公園やスポーツ施設を用意し、科学園区全体を経済特区にして免税(もともとハイテク製品に関税はあまりかからないが)にした。輸出促進のためのワンストップ行政サービスを提供したのはこれまでの輸出加工区と同じ考えである。園内には金融機関など貿易に必要な機関が全てそろっている。

 現在二期計画と三期計画が始まっているが、二期計画からは工場上屋は進出企業が自前で建設し、園は用地のみをリース(一坪六百元)する方式になっている。

 今年六月現在、二百九十二のハイテク企業が進出しているが、TSMC、UMAX、エイサーなど日本でもおなじみの企業が軒を並べ、それぞれ世界最大級のメーカーに育っている。

 その中でTSMCは世界最大級の半導体企業に成長し、現在でも工場を続々、新設している。一つの工場に上屋、設備も含めて九百億元(およそ三千二百億円)の投資といい、現在建設中の十一インチウェハー製造工場は「ナンバー9」と表示されている。世界の十一インチウェハー製造のトップに立ち、〇・一八ミクロンルール、銅配線技術でチップを製造でき、〇・一〇ミクロン技術の導入もアナウンスされ、スケジュールに入っている。

 新竹科学工業園区全体の広さは六百ヘクタール、六月のデータで進出メーカーは二百九十二社、メーカー以外の従業者も含めた園区全体の従業者数は九万人。このため、台湾の高速道路は台北から新竹に向けて最後の二キロで毎日三十分渋滞する。

 園区全体の生産高は六千五十三億元(二兆円強)で、ハイテク産業が中心となっているだけに利益率は非常に高いという。

 半導体産業の従業員の平均給与月額は二万二千元以上、それ以外にボーナスがあり、昨年の平均ボーナスは二百万元だったという。ボーナスは株券などの形で支給されたが、その時価平均がこの金額になった。

 半導体産業の従業員のほとんどがマスター以上の学位を持ち、ドクターも珍しくない。新竹には交通大学、精華大学など理科系の技術者の供給源があり、卒業生のほとんどが新竹の企業に就職する。いま最も人気のある大学として台湾中から学生が集まっている。

■大陸にローテクは移る 危機感がチャレンジ精神生む

 今回の視察は日本アジア航空沖縄支店(比嘉邦明支店長)の企画で、県内の専門学校の先生達とメディアが参加した。新竹の工研院、新竹科学工業園区はそれぞれ視察団向けのプログラムを用意してあり(写真)、視察のための許可の取り方は日本アジア航空沖縄支店がサポートできる。県内のIT産業対象の絶好のテクニカルツアーが成り立つ。台湾は従来の観光旅行にも大変人気があるが、新竹のような世界最先端の別世界が生まれていることを、われわれは常識として知っておかなければならない。最も重要なのはハイテク産業を台湾に興そうと企画した人達であり、それがどのように実現していったかである。

 一九六〇年代の沖縄フリーゾーンのアイデアは台湾にわたり、輸出加工区として発展した。現代のフリーゾーンのもとになったアイデアはもともと世界中にあり、鎖国時代の長崎、自治権を持っていた大阪の堺、薩摩侵入後の琉球もフリーゾーンと見ることが出来る。戦後の沖縄フリーゾーンはアメリカからの輸入だが、米国のフリーゾーンは一九二九年の恐慌のおり、ニューディール政策の一環として全米に広がった制度である。沖縄フリーゾーンは、日本の国内産業保護の名目でさまざまな制限を受け、しぼみ、復帰前についになくなった。現在の那覇フリーゾーンも同じ道を辿り、変わって当初想定していなかったIT関連企業が入って、新たな展開を見せつつある。

 台湾はそれまでの輸出加工区での家庭用電化製品といった産物が次第に時代遅れになり、大陸に移ることに気づいていた。新竹で巻き返しを図り、見事に成功させた。すでに新竹は窮屈になっており、台湾南部に第二の新竹を建設中で、さらに第三…と計画は進んでいる。十二月の新竹科学工業園区創設二十周年には世界ハイテクサミットも開催される。

 つい昨日までハイテク産業は台湾にはなかった。潘文淵博士がハイテク産業を興そうといったら、失業者が増えると反対されたこともあった。これはいまでは笑い話になっているが、潘文淵博士の人となりは工研院の展示場の一角に記念館を設けて一般にも紹介されている。


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玉泉洞がビール製造へ サンゴの水を使い

■工場の起工式を挙行 ニーズに応え来年1月オープン

 玉泉洞王国村は七月二十八日、那覇税務署から地ビール製造内免許の交付を受け、九月一日、工場の起工式(写真)を行った。来年一月にはオープンする見込み。

 年間百六十万人を超える入園客をターゲットに地ビールを提供するもので、入園客からの強い要望に応える。

 「日本で唯一サンゴ礁から生まれた鍾乳洞」のイメージを活かし、南都サンゴ地ビール工場と命名。工場はレストランを含み総面積は約八十八坪(工場三十三坪、レストラン・ニライカナイ五十五坪)。ビールはソフトタイプとハードタイプの二種類(アルコール度五%)を製造し、名称を一般から公募する。

 年間製造能力は最大二百キロリットルで、初年度の製造量は八十キロリットル、売上高七千百五十万円を目指す。五年後には製造量二百キロリットル、売上高一万七千九百万円を見込んでいる。

 南都サンゴ地ビールは玉泉洞の地下百メートルから取水した水を使い上面発酵で製造する。

 製造技術はアサヒスーパードライを生み出したアサヒビールのテストプラントを三分の一に縮小した純国産プラントを使用する。レシピ、原料もアサヒビール系の企業から供給を受ける。

 販売価格はジョッキ(三百五十ミリリットル)四百五十円。土産用の小瓶と中瓶がそれぞれ五百円と七百円。十五リットル入り樽九千円。

 ビールを楽しむパブレストラン・ニライカナイは地ビールに合う特性ピザやトロピカルフルーツでつくった飲茶などを計画している。

 総工費は一億五千万円(プラント六千万円、建物九千万円)。竣工は一月十五日。

■商品名を公募

 南都ワールドは南都サンゴ地ビールの名称を公募している。

 製造する二種類のビールの商品名を一般に決めてもらおうというもので「琥珀色で苦みが弱く切れ味、のどごし抜群のソフトタイプ」と「赤褐色と白い泡、香りと苦みが調和したハードタイプ」のビールの名称をそれぞれ募集。

 応募はハガキに商品名一点を記入し、住所、氏名、電話番号を明記の上、玉城村字前川一三六七番地、南都ワールド(株)南都サンゴ地ビール公募係まで。締切は十月一日の消印有効。採用されると工場落成後南都サンゴ地ビールをプレゼントする。


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