|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
あとがきさつま芋を常食に裸足で野山を駆け巡っていた徳之島の少年が、向学の志に燃え海上交通の難所である七島灘の激浪を越えて本土に渡り始めたのは、一九〇〇年代に入ってからであった。 島ぐちから標準語へ、厳冬と空腹におびえながら、大和人に負けてたまるか「学若しならずんば死すとも還らじ」という詩を口ずさみながら頑張った。「折角、大学に入学したが授業料が払えず、毎 日の空腹に耐え兼ねて校門で男泣きした」との日記を残した先人もいた。就職のため本土に来た少年たちも、島ぐちのなまりを笑われながら歯を食いしばって技術習得に努力した。 戦争中、徳之島は最前戦基地となり、軍部への奉仕活動を強制された。折角、戦争が終わっても島は、異民族の支配を八年間も受けた。島と島民の受けた被害は莫大な物であったが国のためと称し て何等補償されなかった。 このような苦難の歴史の中でも、島の文化を守り、産業を発展させ本土並の生活改善を目指し自己の犠牲を顧みず先頭に立って奮闘した先人もいた。本土に渡った島民たちも島を忘れることはなく 後に続く後輩の面倒を見た。それぞれの分野で先駆的な活動記録を残している。 徳之島が生んだ著名な教育家龍野定一は、人間について「どれだけ巨万の蓄財したとか、どんな高官になったかではなく、その人が何をしたかと言う点から評価すべきである」と説いている。 数多くの業績を残し島と社会に貢献した先人でも、伝承や記録は、五〇年も経過すると消えてしまう。今のうちに証言や記録をまとめ後世に残さない限り、学ぶべき先人の足跡は消えてしまう事を 案じ高岡善成博士と相談してこの資料をまとめてみた。 藩政時代にさかのぼり先駆者の記録が少しでも発掘出来たら、島で生まれた人々が二一世紀を生きる糧ともなることだろう。過去を知らず未来を語る愚かさは歴史的に立証されており、先駆者を生 んだルーツを含め一人でも多くの先人の記録が第二集以降に収録され、国立国会図書館に納本され、永久保存と一般公開されることを念じています。 数多くの資料提供者に厚くお礼を申し上げます。お気付きの点はご指摘下さい。 ルーツ研究会、道之島通信社 代表 松田 清 ■題字高岡善成 1999年12月15日発行 発行所 徳之島の先人を偲ぶ会 世話人 高岡善成 重田為良 松田清 〒191-0052 道之島通信社内 日野市東豊田3-11-7-302 電話・FAX 042-584-3545 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|